所沢市の神社

分類  
名前 鳩峯八幡神社
  はとみねはちまんじんじゃ
公式HP  

住所   〒359-1131 埼玉県所沢市久米2428
電話   TEL:
御祭神   誉田別命は応神天皇、比売神は宗像三女神(多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命)、気長足姫尊は応神天皇の母・神功皇后
例祭日    
カード   不可
駐車場    
特徴   創建は延喜21年(921年)、山城国綴喜郡(現在の京都府八幡市)の男山に鎮座する石清水八幡宮より分祀を受け、 これを狭山丘陵の一部である現在地に祀ったことによる。社号や鎮座地の「鳩峯」は、男山の正式名・鳩ヶ峰にちなむ。なお創建について『新編武蔵風土記稿』は元弘3年(1333年)としているが誤りである。 以後しばらくの間、貞永元年(1232年)に社殿を修復した以外に目立った動きはないが、伝説として鎌倉幕府を倒した新田義貞の話が残されている。 元弘3年(1333年)に地元の上野国で倒幕のため挙兵した義貞は、武蔵国で幕軍と衝突することになった。 この際、八国山の将軍塚に陣を布いた義貞は、当社で社前の松に兜を掛け、境内に鎧を置いて戦勝祈願を行った。 そしてのちに義貞が幕府を滅亡に追いやり、一躍英雄となったのを記念し、兜を掛けた松を「兜掛の松」と呼び、鎧を置いた場所には稲荷社を祀って「鎧稲荷」と称したというものである。 この両者については現在も当社に残されている(後述)。 天正19年(1591年)には徳川家康より朱印地5石を寄進され、 幕末まで続いた。以降、久米地域の総鎮守となる。 明治維新後、明治5年(1872年)に一度村社に列せられたが、大正10年(1921年)に郷社へ昇格した。 本殿は建造年が不明であるが、慶長13年(1608年)の年号が入った棟札が残され、 この年に修復を行った旨が記されていることから、建造はそれ以前、室町時代より前であることがほぼ確実視されている。 建築様式は一間社流見世棚造と呼ばれる比較的質素な様式による。 埼玉県内でも数少ない室町時代以前の神社建築であり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。 なお本殿の神体は現在2体であるが、かつては3体存在しており、そのうち1体を久米六右衛門なる者が持ち出し、 児玉郡八幡山(現在の本庄市児玉町八幡山)へ鎮座させたという伝説が残されている。

  所沢市の神社のページに戻る

写真集  地図

sugawara1