特徴 |
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御祭神は、服部氏の祖である呉服比売命を主祭神とし、建御名方命、大山祇命を併祀する。境内社に狭伯社(建速須佐男命、天児屋根命、少彦名命)がある。
『惣国風土記』によれば、天武天皇3年(674年)3月の奉斎とされる。詳細は不明だが、江戸時代は「二宮(二の宮/二ノ宮)」と称していたのは間違いない。
社名の小宮は「おみや」「をみや」と読むが、御祭神の呉服比売命にちなんで、麻績(おみ)からきたもの、あるいは伊賀国一宮・敢國神社の大宮に対する、伊賀国二宮としての小宮であるとも。
後者の場合は、「こみや」「しょうみや」と読まれる可能性が高いか。
服部氏は、伊賀国阿拝郡服部郷(府中村服部、現 三重県伊賀市服部町、服部川などがある。つまり当社付近)が発祥地とされ、当社の神主の家柄。後の伊賀忍者につながっていく。
明治39年(1906年)5月28日、同村大字服部字夏ハセ497番鎮座の狭伯社に、その境内社である粟島社を合祀し、当社境内に移転。
その狭伯社にさらに、以前から当社境内社であった津島社と、大字服部字中之房1096番鎮座の無格社春日社を合祀したもの。
当社の拝殿正面に掛けられている三つの神額には、中央に「小宮神社」、向って右に「蛭子社」、左に「狭伯社、春日社、津島社」と見える。 |