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住所 | 〒398-0003 長野県大町市社3349 | |
電話 | ||
御祭神 | 《主》木花咲耶姫命,天津彦瓊瓊杵命,地主神 | |
例祭日 | 獅子舞が行われる | |
駐車場 | ||
特徴 | 社伝によれば「妹耶媛大明神棟札の謄写」として「此の棟札は
年多く経木の色も変り字は殆ど消滅し処々残黒點在する故不得な
がらこれを写し往昔の奉祀を知るべき、古老口碑白雉四年(六五四)神社再建言伝、祭神、木花闘耶媛侖、天津彦瓊瓊杵命、妹耶
媛命地主神」とあり天文二〇年(1551)元禄一五年(一七〇1)
等の棟札に私言大明神、妹耶媛大明神の社名があり、安政二年(1855)『村々明細書上帳』に「閠田村家数二七軒、人数一七二
人、私言大明神」とある。妹耶媛大明神、私言大明神が時の移り
変わりに伴い佐々屋幾になったのである。 私言の出所は「仁科濫觴記」に垂神天皇の御代に仁品王が安曇 の地を開拓するのに、まず宮本に神明宮を建て八月一六日参拝の 時王の家臣日光自水朗の毋と妹が迎え、王の日にとまり初めて私私言をされ、召されて御所に勤め妹耶媛の名を賜りおう王の妻となった のが「ささやき」の由来であるという。また一脱によれば(「生坂 村大日向抻杜縁起書」)は妹耶媛は大日向彦、大日向媛の娘ともいう。「ささやき」の名称とそれにまつわる古代のロマンの伝承のう えに氏了中は思いをはせて長い年月、災敬し尊ばれつつ敬神の誡 を捧げてきたのである。例祭には獅子舞が行われる |
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社伝によれば「妹耶媛大明神棟札の謄写」として「此の棟札は
年多く経木の色も変り字は殆ど消滅し処々残黒點在する故不得な
がらこれを写し往廿の奉祀を知るべき、古老口碑白球四年(六五
回)神社再建a伝、祭神、木花闘耶媛侖、天津彦火復々杵命、妹耶
媛命地主神」とあり人文二〇年二五丑一で兀禄一五年(一七〇‐‐)
等の棟札に私丿大明神、妹耶媛大明神の社名があり、安政二年(一
八■■= ■=) r村々明細書上帳」に「閠川村家数二七軒、人数一七二
人、私7‥大明神」とある。妹耶媛大明神、私言大明神が時の移り
変わりに伴い佐々屋幾になったのである。
私jの出所は「仁科濫觴記」に垂神天皇の御代に1:品王が安曇
の地を開拓するのに、まず肖本に神明富を建て八月一六日参拝の
時王の家出日光自水朗の毋と妹が迎え、王の日にとまり初めて私
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のが‐[ささやき]の由来であるという。また一脱によれば(「生坂
村人=向抻杜縁起書」)は妹耶媛は大日向彦、大日向媛の娘ともい
う。「ささやき」の名称とそれにまつわる古代のロマンの伝承のう
えに氏了中は思いをはせて長い年月、災敬し尊ばれつつ敬神の誡
を捧げてきたのである。例祭には獅子舞が行われる。 |