特徴 |
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青海神社の創建年は不詳ですが伝承によると奈良時代の神亀3年(726)に椎根津彦命の分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。
椎根津彦命の後裔が当時の久比岐国(現在の新潟県上越市、糸魚川市、妙高市、十日町市)の国造である青海首であるとされる為、
青海一族が当地を開発した際に祖神を祭ったとも考えられます。
平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社でもあり、古くから信仰されてきた事が窺えます。
当初は寺平(現在は青沢神社)に鎮座し(諸説あり黒姫山山頂:標高1221mに鎮座していたとも、現在は多賀明神)、
何度か遷座を繰り替えしたそうですが江戸時代に入り幕府の庇護を受け文久4年(1821)に現在地に移転します。
古くから神仏習合し別当寺院として清源寺が祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令に仏式が排され
明治6年(1873)に村社、大正6年(1917)に郷社、大正10年(1921)に県社に列しました。
現在残されている拝殿(入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付)、本殿(覆屋にある為に不詳)は
移転当時再建されたもので棟梁は糸魚川の相馬重良左衛門昌信が担い工法や彫刻など地域を代表する建築となっています。
青海神社は産土神として地域の信仰も厚く特に海運関係者から信仰され境内の石灯籠などに「廻船中」と刻まれたものが散見できます。
青海神社に伝わる小正月の神事は"青梅竹のからかい"と呼ばれ、
町を東西2つに分け竹を引き合い豊漁、豊作を占う奇祭として大変貴重 |