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かつて河原部村(かわらべむら)といい、甲州街道の宿駅でした。 信州高遠や伊那方面からの伝馬、中馬による穀物や駿州岩渕からの富士川舟運による 海産物の取引中継の町としてにぎわっていました。 また、将軍家御用達の宇治茶を送る御茶壺道中、徳川一橋家の御陣屋もおかれ、 参勤交代による諸大名の通行など、この地方の政治、経済、文化の中心地でした。 当社はその河原部村の氏神、通称「かわらべさん」として親しまれてきました。 古記録(棟札)によると885~889年(仁和年間)の創建と伝えられます。 もとは七里岩の上に鎮座されていましたが、1583年(天正11)に 暴風雨による山崩れがあり社殿が倒壊したため、翌々年、現在地に再建されました。 |